特別な「普通」の生活

学生の頃から何度か経験した骨折などの大きなケガ。

普段使っている手や足がいつも通り使えない不便さをしばらく感じていると、ただ「普通」に過ごせるということが、とてもありがたいことなんだとケガをするたびに感じていたのを思い出します。

休みの日に外に遊びに行ったり、買い物をしたり。会いたい人に会って、一緒に食事をしたり。通うのが面倒だった仕事でさえも、外に出られる貴重な時間に思えたり。

同じく少し前までは「当たり前」だったことが、今は当たり前にできなくなって、初めて「普通」だった毎日がとても幸せな瞬間を重ね合わせてできていたものだったんだと感じます。

さとうみつろうさんという方の著書で「毎日が幸せだったら、毎日は幸せと言えるだろうか」というタイトルに以前ハッとさせられたのですが、今はそんな普段気付かない「幸せな毎日」に気付いた瞬間なのかもしれません。

日常が何事もなく送れている時は意外と気付くことのできない「当たり前」であることのありがたさ。普段は「普通」の日常が普通にあるから、普通じゃないことが特別なことに感じるもの。でも本当は「普通」であることが一番特別なことなのかもしれません。

大切な友人や離れている家族と会いたい時に会うこと。ただ外をのんびり歩いたり、季節の花や風景を眺めること。とても特別な「普通」の時間。

今はまだ今までの「当たり前」はそこにはないけれど、そんな日常が戻ってきたら今まで以上に感じられるような気がします。当たり前の毎日。何より特別な「普通」の幸せを。

特別な普通の生活

春を背に

いつ間にか、窓から見る日差しが強くなっている。もう、春も終わりか。そう思うと置いてきぼりにされてしまったような気持ちになる。春先からずっと、暮らし方を変えざるをえなくなった。少しずつ生活を戻していこうという兆しはあるけれど、すべて元通りというわけにはいかなそうだ。夏も何かしらの我慢が必要になるのだろうか。今まで当たり前に季節の変化を感じていたことが、なんだか贅沢だったかのように思える。過ぎた時間のことを思うとため息が出る。確かに季節は待っていてはくれない。人間の事情などお構いなしに過ぎ去っていく。それは間違いのないことだけれど、季節がまためぐってきてくれるのも間違いのないことだ。春も夏も必ずまたやって来る。その時には季節を思い切り味わえるように、今は引き続き自分にできることをやっていきたい。

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